Xaaa5465.gif (1197 バイト) 最新版中国の狛犬Xaaa5465.gif (1197 バイト)      
      町 田 茂
日本の狛犬はインドで誕生し、中国・韓国を経て日本に伝播したと言われている。 私もそれ程沢山中国・韓国の狛犬を見ている訳ではないが、それでもそこには日本 の狛犬の源流があることを実感している。そこで今回は私自身が、中国・韓国で 実見した狛犬の中から代表的なものを選んで、雑談的に紹介してみたいと思う。

 

 

  
      

仏教の伝来と獅子座

 インドからは、仏教と共に獅子座の形式がそのまま中国に 伝来して来たようである。例えば良く知られている敦煌莫高窟 の交脚弥勒菩薩には、脇に獅子が控えている。かって敦煌を 訪れた時に、莫高窟内は写真の撮影を禁止されていて、この 交脚弥勒菩薩の前で切歯振腕した記憶があるが、今でも弥勒 菩薩よりはこの時に見た獅子の方が鮮明に思い出すことが出来る。

 左の写真は河北省耶鄲市郊外にある、南響堂山石窟の磨崖 三尊仏に見られる獅子座である。この右京は北斉時代(六世紀)に開らかれたとされているが、多少人為的に 破壊された箇所があるものの、石質が良いためか殆ど風化しておらず、割合に良い状態で残っていて金銅仏の ように滑らかな光沢さえある。

  仏教と共に獅子座の形式が伝えられて釆たことを窺い知る 、一つの例と見ることができる。一方これとは別に中国には、古くから陵墓を護るために天禄、麒麟などの霊獣や、 獅子を参道の両側配する習わしがあった。そして中国では唐時代の頃から仏教における獅子と陵墓の前の石獅子が 融け合い、現在の狛犬の形態が、成立したのではないかと 思われる。  
(河北省耶鄲市郊外南響堂山石窟、三尊仏の獅子座)

 

 

 陜西省(せんせいしょう)博物館の狛犬..1

 

  陵墓の参道に配されていた古い時代の獅子が、西安市の陜西省博物館に展示されている。実に堂々とした石造獅子が屋内にゆったりと置いてあったのに驚かされた。

  その中の一基は、永陵前にあったもので、西魏、大統十七年(551)の表示板がある。四肢ですっくと立っ珍しい姿で、日本では獅子山(岩座)と言って、岩で山を築き、上に親獅子、下に子獅子を配したものに立位のものが良く見られるが、それ以外の所謂参道狛犬では立位のものは数が少ないようである。

 出雲地方に多い尻を立てた出雲型の狛犬は立位と言えばそうだが、純粋に四肢で立ったものとは言えないように思う。
中国には、既に六世紀にこのような立位の獅子があったとは思いもよらなかった。

(西安市 陜西省博物館の立獣)

 

 

 

 

 


 陜西省(せんせいしょう)博物館の狛犬..2

 もう一基は、唐、武徳元年(618)のもので、永康陵前にあったと言う。北周(南北時代)の作風で、早期石獅子の標準的な造形とされている。

 胸をぐっと反らせた肢体は、日本における最古の石造狛犬である奈良東大寺南大門のそれと全く瓜こつで、正に日本の狛犬の原型を見せられている気がする。

 南大門の狛犬は建長七年(1196)で、これより500年以上も後になるが、良く中国の特徴・様式を伝えている。  

(西安市険西省博物館(蹲獅)

 

 

 

山西省博物館の狛犬..1

  山西省博物館は、太原市内にあって元道教寺院(道観)が博物館として使われているものである。山西省各地から出土した古い仏像、石碑などが、前面が吹き抜けになっている細長い右刻碑廊に多数展示されている。その一隅に写真のような狛犬(?)が並んでいて、手前から羊、辟邪、虎である。

 日本では、石造の羊を殆ど見ること出来ず、東京・高輪の願生寺に石造羊があるが、実はこれも中国からの渡来品だと聞いている。

 羊は墓を護る霊獣と言うよりは、生贅として捧げられたもののようである。中国では永詐寺の羊のように、お寺の境内などに良く石造羊を見かける。


 中央に見える胸を反らせた狛犬は、表示板に「辟邪」とあり、天禄・麒麟等と共に魔除けの鎮墓獣である。北斉〜隋時代のもので、6〜7世紀頃である。

(太原市 山西省博物館石刻碑廊)

 

 

 

  

  

 

 

山西省博物館の「石躇虎」..2

 

 

 一番奥に見えるのは、説明板に「右躇虎西魏」とあったので虎であることは間違いないが、なんとも漫画チックで迫力に欠ける。 因みに日本の虎には、東京広尾町の天現寺に、天保六年のものがあり秀逸である。また韓国公州博物館には、百済時代の石熊像が展示されている。

(太原市 山西省博物館石躇虎.トラです!

 

 

 

 

山西省博物館の鋳鉄製獅子..3

 

  山西省博物館のに前庭に素晴らしい鋳鉄製獅子がある。見事な一角を持ち、中々見ごたえのあるものだ。或いは中国に古くからある霊獣の一種かもしれない。

 胸の辺りに細かい文字が見られるので、或いは製作年代も記されているかも知れない。

実は同じ太原市にある晉祠に、四体の鋳鉄製の武人像が立っている。背丈は2m余あり、やはり胸の辺りに沢山の文字が浮出されている。
 11世紀末の作と言われているので、様式等から類推すると山西省博物館の鋳鉄製の獅子も多分同年代の作ではないかと思われる。

 日本には鋳鉄製の狛犬はあまりないょぅだが、岩手県水沢市黒石寺のものが元禄年代の作と伝えられ優品である。神奈川県の大山阿夫利神社にも年代は新しいが、鋳鉄製の狛犬を見ることが出来る。

(太原市山西省博物館の鋳鉄製獅子)

 

 

 

 

 

大原市永祚寺(えいそ)の石造羊

 

 日本では殆ど見かけない石造羊だが、中国では割合にあちこちで目にすることが出来る。写真は太原市永詐寺(双塔寺)にある羊だが、年代は不詳。

  写真のものと対をなすようにもう1基置かれているが、対で同時に作られたものではないようだ。

  永詐寺には高さ54m程の八角形十三層の磚塔(瓦の塔)が二基あり、太原市のシンボルとなっており、それで双塔寺とも呼ばれる。

(大原市永祚寺のヒツジ)

 

 

 

北京市紫禁城の狛犬

 紫禁城にある唐獅子は、中国における狛犬の最終的完成品と言っても良いだろう。
青銅製の見事な狛犬だが、威厳があり素晴らしいの一言である。
この狛犬は、天子諌言の狛犬とも言われており、獅子の前を通る時はその謂によって己を正して諌めたと言う。
玉を持っのが雄で、
「天子たる者は執務のために部屋にだけ閉じこもらず、巷に出て民の様子を良く見なさい。」
子獅子を持つのは雌で
「天子たる者は巷の中にだけ身を置かず、執務に精をだしなさい」
これは玉や子獅子を持つ狛犬の原型だろうか。
ところで紫禁城(故宮)には麒麟等の霊獣も置かれているので博物館の宝物だけでなく、周囲にも注意して見たい。

(北京市紫禁城、天子諌言の狛犬)

 

北京市蘆溝橋の狛犬

  責務橋は1発の銃声から日支事変の発端となった場所として良く知られているが、
北京城の外門であり、その証拠に橋の欄干が沢山の石獅子で飾られている。

  暇な人が数えたらしく、その数は486頭にもなる由である。 
また欄干の両側には欄干を押すような形で、大きな象と獅子の像が置かれている。

 

 


 

 

 

 


中国編END

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